担任じゃない先生の卒業式

何度経験しても慣れない卒業式。
でも今回、少しだけ見え方が変わりました。


卒業式がありました。
何度経験しても、あの場の空気は特別だと思います。

静けさの中にある緊張感と、
ふとした瞬間にあふれる涙。
「おめでとう」という言葉の中には、いろんな感情が詰まっています。

そんな時間の中で、ふと、昔のことを思い出しました。

支えられた1年目

教員1年目。
私は音楽専科として、6年生3クラスの学年付きになりました。

正直、最初は戸惑いの連続でした。

そもそも音楽の授業ってどうすればいいの?
そんな中、6年生とどう関わればいいの?
距離の取り方も、声のかけ方も、手探りでした。

でも、学年の先生方が本当にあたたかかったことを、今でも覚えています。

うまくいかないことがあれば、すぐにフォローしてくださって、
「大丈夫」と声をかけてもらったことも一度や二度じゃありませんでした。

「経験しといた方がいいから」と、
音楽以外の授業もさせていただきました。

今思えば、専科でありながら、
あの一年は確かに「居場所」がありました。
(専科って、孤独なイメージないですか??)

学ぶ姿勢も、子どもとの関わり方も、
あの学年団の中でたくさん教えていただきました。

修学旅行も、下見から引率まで一緒に行かせていただきました。
大変さも含めて、全部が楽しかったです。

初めて送りだす卒業式

そして迎えた、卒業式当日。

きっと、子どもたちの姿を見て感動するはずだった。

でも、その一歩手前で、
当時の私は、こんなことを思っていました。

「羨ましいな。担任っていいなぁ。」

6年生と担任の先生。
その関係の強さが、はっきりと見えた瞬間でした。

その近くにいる自分。

確かに学年団として関わってきたはずなのに、
そこには、ほんの少しだけど大きな距離があるように感じました。

どれだけ関わっても、
担任には届かないものがある。

そんなふうに思ったのです。

自分の役割

あれから時間が経った今でも、
6年生の担任はやっぱり特別だと感じることがあります。

ただ、実際に6年生を担任した先生たちは、
決まってこうおっしゃいます。

「6分の1」だと。

子どもたちにとっては、6年間のうちの1年。

その言葉を聞いたとき、
少しだけ見え方が変わりました。

あの頃の自分は、
「担任じゃない自分」に、どこか引け目を感じていました。

でも今は、こう思えます。

6分の1のその1年は、
担任だけでできているわけじゃない。

専科の先生も、学年の先生も、学年に直接関わらない先生も、
学校全体でいろんな大人が関わって、その1年ができている。

あのとき感じた距離は、
きっと「もの足りなさ」ではなくて、
「役割の違い」だったんだと、そう思います。

担任には担任の関わり方があって、
自分には自分の関わり方がある。


今年の卒業式に参加しながら、
そんなことを思い出していました。

あの一年もきっと、
誰かにとっての大事な「6分の1」だった。

そう思えたとき、
自分のやってきたことも、悪くなかったかなと思えました。

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