ウェルビーイングって何?―何気ない1日から見えた「いい状態」

「ウェルビーイングって、結局なんなん?」

最近、よく聞く言葉。
なんとなく大事そうやなぁ、くらいに思っていました。

でも正直、ちゃんと説明できるかと言われると、自信はありませんでした。

ウェルビーイングとは

ウェルビーイング(Well-being)は、well(よい)とbeing(状態)からなる言葉。
世界保健機関(WHO)では、ウェルビーイングのことを個人や社会のよい状態。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定される(翻訳)と紹介しています。
(引用:ウェルビーイングって何だろうhttps://www.benesse.co.jp/well-being/about/index.html)

なるほど。

今日考えていたのは、
どちらかというと「主観的ウェルビーイング」の方。
自分自身がどう感じているか、という側面のことでした。

そこで、少し自分の言葉に置き換えてみた。

「無理せず、自分らしくいられること」

何気ない日常

今日は、残りの有給を使って、家族とのんびり過ごしました。
こうして有休をとれる環境に感謝しかないです。

午前中は、子どもを二人連れて近所の公園へ。
4月から復帰するパパ友と、「来年どうなりますかねー」なんて話をしながら、子どもたちと遊ぶ。

午後は買い物へ。
駄菓子屋でちょっと大人買いをして、上の子の髪を切りに行って、スーパーで買い物。

家に帰ってからは、風船で一緒に遊ぶ。
二つ割れちゃったけど、まあいいだろう。

そうこうしているうちに、お風呂に入って、晩御飯を食べて…

そんなふうに過ごしていたら、あっという間に一日が終わった。

明日学校に行けば、3連休。
そして、3学期も残りわずか。

来年度のことが、少しずつ頭をよぎる時期でもある。

心のゆとり

特別なことは何もしていません。

でも、こういう一日はまあまあ好きです。

こういう時間を過ごしたあと、
なんとなく、自分が「いい状態」に近づいている感じがします。

余裕があるというか、
ちょっとだけ、視野が広くなっているというか…


仕事がある日は、いつの間にか1日が過ぎていき、
帰ってごはんを食べたら1日が終わる。

そして、余裕がないとき、
つい言葉がきつくなったり、視野が狭くなったりしてしまう。

家では、子どもに言いすぎたな、やりすぎたなと思うことも多い。反省…


でも、少し余裕があるだけで、
同じ出来事でも、受け取り方が変わります。

子ども相手に、少しゆとりをもって向き合えたり、
うまくいかない場面でも、「まあいっか」と思えたりする。

大人のためのウェルビーイング

「心理的安全性」や「ウェルビーイング」という言葉は、
子どもたちのために語られることが多い気がします。

もちろん、それはとても大切なことです。

でも、ふとこう思いました。

それって、子どもだけの話じゃないよなぁ、と。

安心できる場は、
そこにいる大人の状態に、影響されることがあると思います。

余裕のある大人がいると、
場の空気も、少しやわらかくなるのではないでしょうか。

ウェルビーイングという言葉を、
何か特別なものとして考えなくてもいいのかもしれません。

こういう、何でもない一日の中で、
少しずつ「いい状態」に近づいていく感覚。

それも、立派なウェルビーイングなんだと思いました。

いい授業をしようとか、
いい学級をつくろうとか、

もちろんそれも大事なことですが、

まずは、自分が「いい状態」でいるということ。

余裕のある大人が、
安心できる場をつくる。

そんなことを、
今日の何ともない一日の中で、ふと感じました。

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