1991年5月31日に今井家の次男として誕生しました。3つ上の兄がいます。(兄についてはまた別の機会に…)
父と母が合唱、ピアノ等をやっていたこともあり、比較的音楽に囲まれた家庭で育ったと思います。
加えて、父は大学教員、母は保育士と教育一家なのです。兄は元大学教員、私は現小学校教諭。なるべくしてなったのか…
では、これまでの歩みをざざっと紹介していきます。
習い事編
ピアノ
ヤマハの幼児教室から始まり、途中で個人レッスンに変わり、大学卒業まで習い続けました。我ながらよく続けた。えらい。
ちなみにヤマハのグレード5級とれないまま諦めました。即興むずい。
楽譜を見ればそれなりに弾きます。小学校で音楽教えるのに困らない程度には。
合唱団
小学校2年生くらいに急に「歌が歌いたい」と、母に言い出したらしく、いくつか見学に行きました。
小学校3年生から「大阪すみよ少年少女合唱団」というところに入団し、卒団の高校3年生の5月まで続けました。これまた我ながらよく続けた。えらい。
余談ですが、この時期に母が某アイドル事務所に入れようと目論んでいたが、合唱団に入ったから断念したということを後々知りました。わら
その他
水泳、体操を小学2年生までしていました。
しかし、水泳で肩を脱臼してどっちも辞めました。
それでも体操は諦めきれなかったのか、社会人になってからアクロバット教室に通いました。
バク宙ができるようになりました。ちょっとすごい。
ちなみに、小学校のクラブ活動では4年生から6年生までサッカークラブでした。
下手くそながらも、頑張ってディフェンスをしてました。
小学生時代でいうと…あと塾か。
学校編
幼稚園
金塚幼稚園というところへバス通園でした。
車酔いが激しかった自分にとって、毎朝のバス移動は地獄そのもの。バス内で友だちと楽しく話していた記憶はあるのですが、降りた後は毎朝必ず、職員室で休憩していた記憶が。。介抱してくれていたバスの運転手のおじちゃんの顔は今でも頭に残っています。
そんな中、3年間皆勤賞。えらすぎる。
幼児教室(エクサ)に通い、お受験もしました。
小学校
小学校から私学へ。城星学園小学校というところ。親(祖父祖母?)が地元の小学校へは通わせたくなかったようです。ちなみに兄も同じ小学校。
先生に隠れて、よくやんちゃしてました。
電車通学なので、車酔いはなかったです。
5年生の時は議長(他で言う児童会会長)をしたこともあり、そこからあだ名は「議長」。まんまやないかい。
他には特筆するような学校生活はなかったです。むしろ書けないというか。みんな荒れてました。わら
家庭環境の変化もあり、皆勤賞どころか、むしろ不登校気味な時期もありました。
塾(日能研)でもサボって休んだりすることもありましたが、無事に志望校に合格。
中学校
兄と同じ関西学院中学部へ。
父が同大学出身でグリークラブ(男声合唱部)へ所属していたこともあり、迷わずグリークラブへ。しかし、一度は断られます。
「活動もそんなに多くないから、まず運動部に入りなさい。」
いわゆる兼部のみOK。
サッカーはレベルについていけず、やってみたかった野球も経験者ばかり。
迷った挙句、中学から周りと同じスタートラインにたてるタッチフットボール部(アメリカンフットボールの中学生版)に入部。
しかし、2年生の夏から、練習についていけず離脱。
3年生初めに復帰を試みるも、間もなくリタイア。ちなみにポジションはRB(ランニングバック)でした。
2年生の途中からは理科部の友だちとモンハン三昧。2G全盛期でした。モンハン万歳。
中学時代も不登校気味な時もありましたが、エスカレーター式の学校なので、無事に同高等部へ進学。(この時やらかしてしまったことがありましたが、これも別の機会に。。)
高校
高校は関西学院高等部。ここでも迷わずグリークラブに所属。3年の時は学生指揮者に。
基本、休憩時間はゲームか漫画。授業中は寝てました。怠惰。
高校時代も不登校気味に。ひどい時は放課後、部活の時間だけ行ってました。
高校からギター、そしてバンドも始めました。1年生の時はカラオケ行きまくりの放課後。2年生でバンド結成。3年の文化祭で青春を謳歌。
内部進学で、無事に同大学へも進学。
大学
関西学院大学教育学部へ。
人生の夏休みとは上手く言ったもので、とくに2回生までは本当に遊びまくってました。
軽音楽部は青春の1ページ。
もちろんグリークラブへ所属し、3回生からは部活一筋。父がやりたかった念願の学生指揮者。
教育実習は母校へ。
そして卒業。進路決まらず。
決まったのはとあるミュージカルの舞台。。
役者編
「ズボン船長」との出会い
夏に公演するミュージカル「ズボン船長」のオーディション。“梅芸“・”なだぎ武“のワードに目がいき、受けてみるとうっかり合格。
これが人生の中でも大きな選択となりました。
ここでの多くの出会いが、USJのエンターテイナーを目指すきっかけとなります。
それから…
「ズボン船長」の公演後、もっと舞台に立ちたいと思い、市民ミュージカルにも出演。
そこで出会った方の劇団の旗揚げ公演に誘っていただき、初ストレートプレイに出演。
その後、USJのオーディションに挑戦。いい感じのところまでいくものの不採用。ここから3度にわたる奮闘が始まる。
夏は「ズボン船長」!と言わんばかりにオーディションに毎年挑戦し、出演。いい役どころをいただく。
ズボン船長つながりで、京都の「舞台芸術創造団体ワンダーラーファクトリー」というところでも何度か公演に参加させていただく。
演劇について学びたいと思い、ピッコロ演劇学校へ。
そして3度目の正直。USJオーディションに合格。新たな世界に踏み込む。
仕事編
フリーターから先生へ
大学卒業後はしばらくフリーターをしていました。しかし家庭の事情もあり、6月から大阪府の小学校講師に登録。すぐに連絡をいただき、音楽専科として勤務スタート。今思えば本当に運がよかった。ラッキー。
同じ学校で約4年間、音楽専科と担任として勤務。社会人としての素地ができた時期でした。
USJ
その後USJで2年間働く。ここでのことは書き出すとキリがない。
通常のショーに加えて、特別なショーにも何回か出させていただく。
「ズボン船長」にも、今度は演出家の方から声をかけていただく形で出演。
他にも企業広告の撮影や、東京の演劇祭に参加、舞台出演、イベント出演など…
多くの経験が今でも仕事につながり続けています。
再びフリーターから先生へ
2年で首を切られ、少しの間フリーターに戻るものの、コロナ禍での役者として働く難しさもあり小学校へ復職。
約2年間、計2校で算数少人数指導、特別支援学級担任として勤務。
現在は私学の小学校教諭として勤務。副担任をしています。
私生活編
2020年8月に籍を入れ、
2022年1月に結婚式
2022年4月に転職
2022年5月にマイホーム&引越し
2022年7月に第一子誕生
と、目まぐるしく生活が変化していきました。親戚からは「人生の一大イベント詰め込んだなー」と言われる始末。
さて、お次はどんな変化が待ち受けているのやら…このまま落ち着くのか…
まとめ
ざっと振り返ってみると、自分の中でもあんなことしたなー、こんなことあったなーと整理でき、アウトプットすることの恩恵を受けております。頭の中のことを書き出すって大事。
細かく書ききれなかったところだらけなので、今後の更新をお待ちいただければと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
真面目なエンターテイナー 今井脩
コメント
めちゃくちゃ面白かったです!
気になるエピソードがたくさんあったので掘り下げを楽しみにしてます☺
ご結婚とお子さんの誕生おめでとうございます
子育て奮闘編も楽しみにしております!