[学ぶ]と[真似る]

古語では「学ぶ」を「まねぶ」と読み、「学ぶ(まなぶ)」は「真似る」の語源と言われているそうです。

仕事だけに限らずですが、うまく生きていく上で、また、自分や周りの成長のために、何かを[真似る]ことは、とても大切であり、また勇気が必要なことでもあると日々感じています。

私の思う[真似る]極意を真似てみてください。

[学ぶ]ための[真似る]

ただ[真似る]のは、自分以外のところからガワ(外側)だけをいただくということ。

おしゃべりインコなんかが、まさにいい例です。

彼らは、人の言った言葉をただただ聞いたまま覚えて、それを復唱しているだけ。

言葉、文字というガワだけを真似しているわけです。

当然、そこにはなんの意味もありません。

むしろ、インコが言葉の意味を分かった上で、感情もそのままにおしゃべりしてると怖い。

そう、ガワだけ[真似る]だけでは、そこには中身がない、空っぽの状態なのです。

子どもの頃にあった、「マネすんなよー」ってやつ。

中身である感情や思考、エネルギーまでもそっくりそのまま[真似る]。

これがいかほどに難しく大変であるか…

私が[真似]たもの

漠然と説明だけしても伝わらないと思うので、[真似る]ことによって成長につながった例をいくつか紹介しようと思います。

先輩を[真似る]USJ編

私のしていたショーは、同じ役を3人以上で回していました。

つまり、自分以外にも同じ役をしている人が何人かいるわけです。

もちろん、基本的には自分のオリジナリティを追求して、自分だけのスタイルを創り上げていくのですが、一人でやっているだけでは何度も壁にぶつかる時がありました。

ショーを見合って、意見交換をすることもしていましたが、それよりも即効性があるのが[真似る]ことでした。

ショーの流れの中で、それぞれ違ったアプローチで観客の温度を上げていきます。

そこを[真似る]。[真似る]ことが学びの第一歩。

1番効果的だった例を1つ。

長年同じ役をやっていた大先輩から、本人の勧めもあって、大先輩の確立されたスタイルをそっくりそのまま[真似る](真似をさせていただく)機会がありました。

許可をいただいた、というか強く推されたというか…

この経験から本当に多くの学びを得ました。

登場シーンから始めの音楽が鳴り始めるまで…

【ここからは感想、学んだこと】

まず、序盤から体力が持たなかった。

いつも30分のショーで使い切る体力を5分で使い果たした感覚。

この時、年上である先輩の体力の多さに驚かされました。と同時に、自分の体力の無さに気づかされました。

この時のメインのショー部分、残りカスのような体力でやりくりして本当にしんどかった…

一つ一つのネタ?については、間や緩急といった、技術的な難しさももちろんですが、1番[真似る]ことができなかったのが、勢い。

普段見てきただけのものを、その場でやるだけではどうしても中身が伴わずガワだけになってしまった。空回り状態。

おそらくここには何百回何千回と試行錯誤しながら蓄積してきた確かなものがあるからこそできる、まさにその人にしかできない[芸]でした。

あの時のたった一回のショーでしたが、何にも変えられない、貴重な時間になりました。

もちろんショーとしても全体が成り立つようにしっかり最後までやり抜きました!

実践例を[真似る]授業編

音楽専科2年目の頃。とある夏の研修で、音楽の鑑賞の授業実践のお話を聞く機会がありました。

(本も買ったのだが、遠い昔のことで、手元に残っているものがないのが非常に残念…)

ざっくりまとめると、座ってお行儀よく音楽を聴くイメージのある鑑賞の授業だけど、身体表現を使うというもの。

授業の様子を映像で見せていただいたが、子どもたちの楽しそうな姿をみて、(これ、やってみたい!)と思いました。

当時、音楽部会に所属しており、年に一度の授業実践発表があったので立候補。

2学期から準備を初め、なんとか形にして公開授業をすることができました。

しかしながら、公開授業までに鑑賞の授業を何度か本を真似てやってみたのだが、なんかしっくりこなかった。

考えられるのは、

実践例の先生のようにはなりきれていなかった。

と同時に、

この授業展開やスタイルは、自分が求める授業のあり方と一致しているのか。

もちろん、実践例を否定してるのではなく、自分に合う、合わないの問題です。

そこから、「守・破・離」の考えに結びつくんだなと考えることができました。

「守・破・離」についてはこちらから…

結局、1曲で1時間の授業時間を使い切る形で仕上がった公開授業。

鑑賞の時間は使っても授業の半分の時間しか使わないという先生方が多く、授業内容が良い悪いは抜きにして、授業提案としては良いものを作ることができたのではないかと思っています。

これから真似るもの

何を真似たらいいのかを選ぶことも大事。

ただ、やってみないとわからない部分が多いので、そこが難しいところ。

ただ一つ言えるのは、自分に合っている、合っていない関係なしに、自分に必要だと思う部分を吸収し続けることが何よりも大事だと思います。

そして、吸収して終わらず、自分の形へと変えていく…

いつか自分も真似てもらえる存在になりたいものです。

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