消えるノート

先日、京都にあるノートルダム学院小学校へ研修に行かせていただきました。

ノートルダム学院小学校はロイロノートの認定校でもあります。

※ロイロノートとは、とくにタブレットを通しての情報共有に長けている学習支援アプリです。

私は今年の夏にロイロノートの認定ティーチャーになりました。そのこともあり、認定校がどのような学校かの学校見学も兼ねての出張となりました。

1.2時間目が授業公開。その後、教科別の交流会と特別講師による講演がありました。

こういった研修に参加して考えさせられるのは、従来のノートと、タブレット機器(ロイロノート)の使い分けです。

それぞれの良さ

ノート

やはり、自分の手で書き、しっかりと脳に伝わりやすいところだと私は思います。

漢字の指導でも、必ず指で机またはドリルに書かせます。

指は人体の中で最も繊細で、その指の感触は脳に刺激を送りやすいというようなことを教わったからです。

もちろんタブレット機器でも、指やペンで書くこともできますが、実際のノートとは感覚が違うように思えます。筆圧とか。

他には、ノートだと量や形として物理的に残せることです。

読書の記録を、紙媒体からタブレットに移行した時の話です。

変化には初めは何かしらの抵抗を感じるのは当然のことだと思います。

その中でも、

紙のままの方が、記録が量や分厚さとして形に残っていくからよかった。

というような声もありました。

実家に昔のノートがそのまま残っていて、ひょんな時に開いてみると懐かしい気持ちになる。なんてこともありますね。ノスタルジー…

タブレット

まず初めに浮かぶのは、

最新、今どき、ICT活用、GIGAスクール構想など

今の時代だからこそ使う。それを使うのがなんだか嬉しい。

という部分。

もちろん、めちゃくちゃ便利な部分も多いです。

1番はやはり、タブレットを通して情報をその場ですぐ共有できること。

タブレットに直接書かずとも、ノートに書いたものをカメラでパシャリ。その画像を共有。みたいなことだと、低学年でもすぐにできるようになります。

あと、プリントの印刷、配布を減らすことができます。

PDFもタブレットを通して送るだけ。簡単。便利。なんならそのまま書き込みもできる。

職員会議で特に活用しているように思います。

先程の読書記録でいうと、チェックする側としては、かさばらず、誰が提出したかのチェックもすぐ。

記録する側は、文字だけでなく、表紙の画像なども一緒に記録しておくことができる。

働きはじめの頃にはなかったものなので、ここ数年でとても進んだなという印象です。

結局どっちが良い?

結論から言うと、どちらも良い!

そして、どちらもその良さを最大限に引き出せる使い方を見つけなくてはならない。と私は思います。

また、自分の授業スタイルと、ノート、タブレットの使い方を照らし合わせながら、授業を進化させていくことも必要だと思います。

鶏と卵、どちらが先か問題ではありませんが、自分の授業スタイルを考えるのが先なのか、タブレットの活用法を考えるのが先なのか。はたまた、同時に考えていきながらベストを見つけていくのか。

まだまだ研究が足りないところです。

例えるなら…
そう。朝食バイキングのよう。
洋食メインなのか、和食メインなのか。そんなの関係なし。
その場にある食べたいものをひたすらに盛っていく。
なんなら2回、3回と回を重ね、仕舞には、普段の朝飯ではこんなに食べへんやろ!と思うくらいの量を食べて、大概そこは遠方で、そのあとは旅行であったり、仕事であったり、普段とは違う活動をするわけで…
毎回毎回、何回同じ後悔をしているのか。
早く、自分なりの朝食バイキングスタイルを見つけたいものだ。

消えるノート

別の研修でお話を聞いた「消えるロボット」ではありませんが、ノートという文化も、いずれ学校から消えていくのではないかと思っていました。

しかし、それはまだないように思います。

タブレットが学校に導入されてまだ数年。普及中という時代。

今の子どもたち世代が先生として働き出してから、自分たちが受けてきた教育をベースに、今の子どもたち自身が答えを出していくことだろうと思います。

タブレット導入からまだ数年。ここから十数年後。

教育現場がどのように進化していくのか、楽しみです。(進化させていくのは私でもありますが…)

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